神奈川県藤沢市の卓球クラブチーム 岸田クラブ

子どもに何かを教えることについて、面白い記事を読みました。

「もし人を自分の望んだとおりに動かしたいのなら、その人にダメというレッテルを貼ったり、欠点をそれとなく匂わせるといい」というものです。

確かに、「理想のあなたはこうあるべきなのに、いまのあなたはこんなところが足りないのでダメですよ」という語り口は、人々に不安と焦燥を与えますよね。そのストレスが「何とかしなきゃ」という行動をかき立てます。「こうありたくない」というネガティブなダメージを避けようとする力は「こうありたい」というポジティブな見通しを実現させようとする力よりもずっと強いものです。

だけどこのやり方は短期的な向上に繋がったとしても、長期的にはつぶれます。

「全然ダメ」「このままだとこんな風になる」という負の宣言・予言は、言われた側の行動力を一時的に高めます。こういった負の言葉に触れると、人は何としてもその状態を避けようとするのです。それはもう、本能とも言えます。誰かの欠点を指摘することは、その人を動かすお手軽な方法なのです。確かに私たちも一時的に何かを乗り越えさせるために欠点を指摘することはあります。でもそれを、恒常的に使ってはいけないと思っています。

例えば卓球をやり始めて間もない初心者が下回転のボールをドライブせずに叩いてネットミスしてしまうことは、とても普通のことです。ボールの回転を知り、少しずつ上手くなっていけば良いのです。でもそこで「何でもかんでもパチンパチン打つのはとっても恥ずかしいことだ」と伝えるとします。その子は怒られたくなくて、「ダメだと言われないために」必死に練習をすることでしょう。そして首尾よくドライブをマスターしたとします。

さて、その時。その子の頭の中には「卓球は楽しいな」だとか「私もやればできるんだな」という認知の他に、無意識下にある概念が刷り込まれます。「私はまだコーチ(或は親)からダメだと判断されるかもしれない」という不安が刷り込まれるのです。本人も気づかないままに、ストレスを避け「べき」を満たすための行動を取りがちになります。

「理想に比べて現状がダメ」という認知を強調するやり方は、子どもを強く動かせる可能性がある反面、コーチや親の評価を気にする子どもになる可能性が高いと思います。「べき」や「しなくてはいけない」に縛られてプレイする喜びを感じられなくなってしまっては可哀想ですし、今後長い間卓球と関わっていくのは無理でしょう。

子ども達に希望と自信を育むのは、「他者からの要請を忠実にクリアした体験」ではないと思います。子ども達が心からしたいこと、こうなりたいと願うことを成し遂げさせてあげたいものです。


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