神奈川県藤沢市の卓球クラブチーム 岸田クラブ

たとえば小さな子どもは「春」を理解できません。

四季のひとつ、夏の前、冬の後ろ、朝晩はまだ肌寒さはあるが次第に日中は暖かくなる時期、などと教えても「四季ってなあに?」「肌寒さって?」などと質問が続くでしょう。春の概念がないのであれば、夏や冬の概念も怪しいものだから、それを用いて説明することもできません。

結局のところ、1年の行事や衣服や食べ物などを頭に思い浮かべることができ、咲いている花を想像することができ、その季節に関する思い出を呼び起こすことができなければ、「春」とは何かを理解することはできないのです。

ある情報を与えられた時には、それを解析する手がかりとなる情報が必要になります。たとえば下の光子(素粒子の一つ)の説明文を見てください(Wikipediaより)。

” 光子の普遍質量がゼロであり、長距離で基本相互作用することが可能であるため、この力は微視的にも巨視的にも容易に観測することができる。その他全ての素粒子と同様に、現在のところ光子は量子力学で最も良く説明され、粒子と波動の二重性を示す。例えば、一つの光子はレンズはで屈折し、また自身と干渉するが、位置が明確に測定できる等、粒子としての振舞いも見せる。”

多くの人はこの説明を理解することができないでしょう。私もさっぱり意味が分かりません。文中の用語の意味が理解できず、具体的なイメージや概念を頭に作ることができないからです。専門の人はその人の頭にある情報との繋がりがわかるため文章の中身を理解できるけれど、専門外の私にはチンプンカンプンです。

教えている時に、あることを理解してすぐ動ける子もいるし、まったく理解できない子もいます。これは理解できなかった子どもが、すぐ理解して指導を吸収した子どもに比べて「頭の回転が遅く、理解力が乏しい」からではありません。その子に情報が不足しているだけなのです。情報不足で物事と物事の関わりを頭でうまく処理することができないだけです。逆に言えば、物事を理解するための適切な情報が与えられていれば、誰でも「理解力がある子」になれます。

なんでこんなことが分からないのだろう、○○ちゃんは言われたことはすぐ表現できるのに、などと悩む前に一度このことを考えてみてくださいね。








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